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2020年7月16日木曜日

PDF句稿「十王抄」

【PDF句稿のお知らせ】
愛妻のサキと京都の六道珍皇寺の「夏季ゑんま詣特別寺宝展」というのに行ってきました。十王図とかあったので昔書いた十王の句を探したらあったので、PDFにしてみました。グーグルドライブからで、リンクはこれね。
「十王抄」

六道珍皇寺は、京都市バスのバス停「清水道」から歩いて五分ほどの小さなお寺。こうした閻魔詣をやってないときは、ただの狭いお寺です。伝承としては小野篁が冥界と出入りしたと言われる井戸があったりとかですが、これも井戸そのものは普段は戸の隙間から覗けるだけで、私も近くからははじめて見ました。こういう行事の時だけ、本堂や庭に入れるみたいです。

句稿の四角形に組んだ四句は、一行目からぐるっと回転するように読んでいただければ読めるように組んであります。

本年の夏はとにかく祇園祭が例年のようには行われないし、病禍のための旅人の激減で、なんだかひっそりとしています。過去のほんとうのことというのは、詳しくは何もわからにわけですが、民家も道も今のようではなかったころの、見通しが良くて、人の生死がひどく不明瞭だったころの「京」のことを少し考えた一日でありました。ではまた。

2018年1月27日土曜日

『永遠集』山田露結句集 を読みました

 俳句にはいつも「秀句」とは何かという問題がつきまとう。
 ここで「つきまとう」という修辞を選ぶのは適切だろうか。「という問題が含まれている」とか、「(作句するものには)指の先端にまで無意識にそれが伝搬する」とかの方がいいだろうか。
 作句するときは秀句云々など意識せず、おもむくままに句をなしているのであなたの言うことは間違ってるよ、という人もいるだろう。それはそれでいいのではないか。
 ただ、私としては、やはりこれは「つきまとう」でいいのではないかと思う。
 私がこのものいいをするのは、俳句というのは「秀句」という名のまぼろしのストーカーとともに歩み続ける文芸の一形態だと私が感じているからである。
 俳人の山田露結さんから句集『永遠集』を寄贈していただいた。
 かたじけなくまたありがたいことである。
 山田さんには『ホームスウィートホーム』という句集らしからぬ名前の第一句集があり、開板された当時読了し、大変感銘を受けた記憶がある。もうなくなってしまった京都イオンの2階の居心地のよい喫茶店で初読した。とさほど書くこともないことを記述するのは高山れおなのある座談会での「一階か二階かは川名大にはとても大事なこと」といった発言をよく私が思い出すからである。
 うーん。今日の私の文章はなんかくどいな。まあいいか。
 『永遠集』はてのひらでかくれるほどのサイズの豆本である。
 装幀造本は、こうした瀟洒でうつくしい手作りの本を作っている、佐藤りえの手による。-「なるべく小さな句集」を作ってみたい-と山田さんは思ったらしい。そこには山田さんのいろんな思いがあるような気がする。
 句を見ていく。


 花菜漬やさしい人がやさしすぎる

 眼をあけて見る夢かなし初桜


 どちらもナイーブな感性が少しゆるめの記述の感覚とともに句に定着されていると思う。ゆるめの感覚というのは、作者本人が句に「新」や「変」を求めながらも、やさしさやかなしさという定型的な感性のありようもちようを俳句の大事な部分だと思っているからではないかと考える。


 スペシウム光線で勝つはるうれひ


 ウルトラマンはたいていスペシウム光線で怪獣に勝つ。最初から出せばいいのに、とよく私も思う。
 というようなことだけではなくて、平成のこのあたりの時代の、「スペシウム光線」という言葉やそれが指し示すある「雰囲気」を本人は大事にしたかったのではないかと思う。句からアクロバティックな感じがあんまりしないのはそういうことではないかと思ったりする。


 木犀や悲しい歌がまだ悲しい

 すぐに来てしまふ未来や鰯雲


 短歌や俳句のような短い詩型では、繰り返して一語が出てくるというのは永遠にそれが繰り返されるということだ、というようなことを穂村弘がどこかで書いていた。やさしい人のやさしさも悲しい歌の悲しさも、実はどうしようもないことだったりする。それは木犀が木犀であったり、花菜漬が花菜漬であったりするのと同じことなのではないか、という意識や無意識がこの句をささえているように思う。そういう感性には、歩行と同じように、時が流れていくように思えるのかもしれない。
 三歩の道を三歩で歩く、というようなことを、いつかどこかで佐藤佐太郎がいってた記憶がある。
 それでもすぐに、未来が来たように感じることも、そりゃああるかもね。
 とはいえ、小さなこの句集を読んで思われるのはやはりこの拙文の冒頭に書いた「秀句」との、山田さんの「葛藤」であるような気もする。
 2018年の今、「まだ上げ初めし前髪の」と書いたところで、仮にそれが史上はじめて書かれたフレーズであったとしても耳目を集めるとはとうてい思えない。
 仏教の経文に「常与師倶生」、人はいつも世に生まれるとき常にその師とともに生まれてくる、というスターウォーズみたいな一語があるけれども、秀句秀作ベストセラー大ヒットといっても時にあわなければそういうことにはなりえないが、そう簡単に作品も人間も生まれる時を選択できるものではない。短詩型というのは関係性の詩型でもある上に、時代時代の積層した言語のディスクール上で常に評価や判断がくだるのはいたしかたない。
 忘れられた作者は、負けた作者ということになってしまう。
 スペシウム光線でやられた怪獣たちのように。
 しかし私も長く短歌を書いてきて思うのだけれども、短歌とともに生きる、俳句、川柳でも詩でもいいのだが、その「ともに生きる」ということの内実というものはまた、余人にたやすくわかりがたい宝珠のようなものもであるのではないだろうか。
 結局、どこかになにもかもをひっくるめ、飲み込んでもなおくじけない「超肯定」のようなイメージがあって、そこから逆照射されるようにすべての詩歌は作られ読まれてるのではないか、とふと思ったりする。
 おおげさな話になってしまい申し訳ない気もするが、時代がなにやら「超脱力」をめざして進行しているようないま、より大きな肯定感を求めて、筆を進めるとしたら、それは誰かの顔にふっと笑いを浮かべるものであるかもなあ、と思ったりもする。
 最後にもう一句ひいておく。


 大阪を異国と思ふクリスマス


 「京都」でも「和歌山」でもなく、大阪を異国と思う感覚というのは私も共感するのだけれど、それでいいのかな、と思ってしまうのも事実ですね。いい句だと思いますけどね。ではでは。
 
 

2015年8月17日月曜日

オルガンと手風琴-「オルガン」2号の感想


 

 俳句同人誌「オルガン」2号をおもしろいなと思って読み、少し感想が書きたくなった。
 なので自分のブログに少し書いてみることにする。
 「オルガン」は生駒大祐・田島健一・鴇田智哉・宮本佳世乃の四人の同人誌で、この号はほかに福田若之がゲストとして座談会に参加している。
 通読しておもしろく思ったのは、同人どうしのあまり子供っぽくはない緊張感が、座談会や相互の作品からうかがえるようなところがまずひとつある。また意識してか無意識なのかは私にはわからないが、「品の良さ」と「俳句に対する敬意」が水槽の中の水のように、冊子の誌面に一様にあると感じられるところも面白かった。
 四人の同人には、「俳句に対する敬意」というもの言いに違和感や反感を感じる人もいるのかもしれない。
 それはそれでしょうがないのだが、少し付け加えると、今さっきのの文面での「俳句」というのは、大きな意味での詩のジャンルとしての俳句というよりは、「文化としての俳句」という感触がある。
 1962年生まれの私は、坪内稔典編集の「現代俳句」の中盤あたりをリアルタイムで読んだ下限あたりの世代と思っているが、坪内の「現代俳句」には「俳句に対する敬意」を抑えつけるような形で「時代に対する敬意」というものがあったように思う。その「時代に対する敬意」というのは順接的なものでもあり、逆説的なものでもあったとも思う。他の場所でも度々引用したもので申し訳ないが、坪内が「現代俳句第六集」の帯に書いた

「定型に日が射し秋の風が吹く
 火傷しそうな君に会いたい」

という文言にそれはこめられていたようにも思う。反逆的なモラルや孤立と連帯をめぐるロマンチズムの中で「俳句」というものを考えずにはいられなかったこころが、書かせたものだろうとは思う。それはそれで「当時」という「時代」への敬意だったのではないか、とは時を経て今思うことなのですけれどもね。
 「オルガン」はもちろん2015年発行の俳句誌なので、2010年代的な微妙な「生」そのものへの不安やその中での個人の求心的な達成の感覚を中心に作句や発言がなされてるように思えます。誌面が俳句作品と二本の座談会でのみ構成されてる、というのも、他に理由があるのかも知れないけれども、(単に誌面のスペース上の問題だとか)余裕を持った禁欲という少し今の時代の「風」のようなものに寄り添っているような感触もある。
 全体のことはこのくらいで、作品の感想などを書いてゆきます。
 引用する句は、それなりに惹かれた句です。

 待たされて苺の夜に立っている/田島健一

 噴水の奥見つめ奥だらけになる/田島健一


 「俳句」そのものをひとつの「典型的な文体」ととらえた上で、その「文体」に違和をとなえるような作風で、それはそれで現在の俳句というのは大なり小なりそのような書き方をしているとは思います。あとはその「典型的な文体」との離れ方、にどのような「個性」を持たせるか、になるわけで、そんなことは少しも書かれていないのに、句に「ファミリー感」とでもいうようなベーシックな家族生活者の風貌が見えてしまう、というのが、
読みどころなのかもしれません。


 ひあたりが果物よりも固い蟻/鴇田智哉

 日録が雲海へほどかれてゆく/鴇田智哉


 俳句の言葉に自在な感覚を持たせたい、と思って書いてるような俳人というのは少なくないのでしょうが、そううまくはいかないですわね。作句された句の言葉と作者の間に鵜飼いと鵜のようなつながりを私は感じますが、そこから先のことは私にはあまり言いようがないですね。


 箱庭の砂のあまつてをりにけり/宮本佳世乃

 ホーミーが虹に届いているところ/宮本佳世乃


 句集『鳥飛ぶ仕組み』はおもしろく読みました。軽さと重さのバランスのいい作者だと思うのですが、そのバランスの良さはそのまま軽さにつながってしまったりするので、多少損をすることになる作風かもしれません。


 六月に生まれて鈴をよく拾ふ/生駒大祐

 鷹を描きその他は青を載せ続く/生駒大祐


 同人四人の中では一番生年が新しいようで、その分私には一番遠い俳句の作り手という感じもします。ただそういう私なら私との年齢差とかは基本どうでもいいことなのではないか、というのもあります。「六月」の句は、少し残っていきそうな句ではないか、と考えたりはします。短歌・俳句・川柳それぞれ一句には「命運」のようなものがあって、のちのちまで語られたりする作品になることには評価とか時代性とはまた何か違う「それ」があるようには思ったりします。

 二本の座談会には、俳句総合誌の座談会に感じられる無意識の読者幻想の拡大化と概念化のようなものがあまりなく、新しすぎない「現在の俳句の詠み手」の俳句に対する感触、のようなものが私には感じられました。再生産的な感触がいつもどうしても漂う俳句の世界において、その再生産的なものの価値をどのように止揚なり位置づけなりするか、ということ。それと、俳句の実際の作り手としての「もっと読まれたい」という「色気」のようなものをどんな風に「変圧」していくか、という結構な難題への模索、でしょうか。
 一本は村上鞆彦の句集『遅日の岸』の書評座談会で、二本目は鴇田智哉の質問状にそれぞれが答える形のものです。その質問のひとつめが、

「Q1 あなたは俳句を書くとき、どのような読者を想定していますか?」

というものです。それぞれの同人の答えと問答は座談会を読んでいただくとして、私も答えてみたいので書きますね。(お前はそれが書きたかったんだろうという人もいて当然ですね。まあ自分のブログなのでそれはそれでいいのでは。)ここ数年ツイッターのアカウントで書いていたような基本4行の句は、前提としては「ツイッターの使用者」ということになりますね。その上で「自分のような詩歌の享受者、読者」もう少し言うと「1979年、80年、81年あたりに吉本隆明や菅谷規矩雄を読んでいたような(なおかつ今生存している)人」を意識してるとは思いますね。私はそういう人はあんまり2015年の今、「(本屋にいっても買って)読む本がない」という思いを持ってるのではないかと感じます。何も吉本や菅谷の本や書くものが素晴らしいとかそういうことではないので、そこだけ付け加えますけどね。
 ただそういうのは書き手の意識としては「続かない」ですね。
 というようなところで。夏が徐々におとろえていくような、八月のなかばの午後でした。

2014年6月15日日曜日

【附録】「琴座」「未定」書影など



 そんなに貴重な雑誌というわけでもないが、「琴座」が一冊だけ残っていたので書影もあげて見ることにした。「琴座」は平成九年一月発行の終刊号。表紙はもちろん永田耕衣筆。入会してからずっと(!)この表紙だった。それはそれで良かったのだった。
 「未定」は52号と高屋窓秋の特集号、それに私の好きな小包郵便をそのまま表紙にデザインした31号をアップしてみた。


【俳句】「未定」掲載のそのほかの旧原稿




 最後に「未定」に載せたものを同じようにアップしておく。



【俳句】「光の行方ー安井浩司論」その3




 90年代初頭と違って今はすぐれた安井論も書かれているのでいまさらとはも思うけれども。
 



【俳句】「光の行方ー安井浩司論」その2





56号と57号の二回分。「未定」は年四回の季刊だった。



【俳句】「光の行方ー安井浩司論」その1





 この機会に92年から93年にかけて書き、「未定」に連載した安井幸司論も同じjpg画像でアップしておくことにする。拙いものだが、この時点で全句集はまだ未刊行。俳論「渇仰の果て」も読んでいなかった。それでも必死で書いていた。これは「未定」55号と56号の二回分。




【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その7



 前号の句評、5年7・8月号と、最後の11・12月号分。
 これ以降は「琴座」には書いていないと思う。
 パソコン通信や、ニフティ・サーブの「ftanka」をきっかけに、ゆっくりと私は短歌へ回帰していった。


【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その6




 同じく5年の9・10月号は永田耕衣に関する論考の特集だったと思う。4ページをかなり苦労して書いた。



【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その5




 平成5年5・6月号は当時の「琴座」編集長の金子晉さんの特集でこれも3ページ。金子さんの評論集では加舎白雄について大変勉強させてもらった。


【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その4



 平成5年の1・2月号より。この号は当時少し「琴座」に集まっていた若手-といっても30前後だが-の五名による17句の競作特集で中岡毅雄さんとかと一緒に贅沢に2ページ載せてもらった。飯塚さんがおぼえていたのはこの一句目。このころすでにちらほらと出始めていた安井浩司フォロワーっぽい句になっている。
 「鷹としてふいにけむりをさけるかな」の句は、句会で永田耕衣に少し褒めてもらったし、一連は安井浩司にこれも「よかった」といってもらえた。
 次のページの左は、結社誌でよくある前号からの秀句選で、永田耕衣を中心に集まっていた人々の雰囲気や空気が少し出るかとそのまま載せて見た。一年間、6冊分やらせてもらった。

【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その3



 平成4年の11・12月号に書いた、「琴座」同人の徳永希代子さんの句集『桜麻』の評。同人の方はそれなりにこのころ句集を出していた。阿木津英のものを引用したりと結構苦労しながら書いてるのがよくわかる。

【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その2




 こちらは同じ平成4年の7・8月号(ずっと合併号だった)に書いた鳴戸奈菜さんの『天然』の句集評。右上の手書き文字は、俳句文学館でコピーしてもらったときの向こうの職員さんの書き込みである。雑誌は処分してしまったので、たまたま一度だけいったときに、まとめてコピーしたのである。そのときはまだ「セレクション俳人」が出る前だったから、向こうの席で対馬康子の『愛国』を開いていた女の人がいたことを今でもよくおぼえている。

【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その1





 ツイッターで飯塚距離さんから、昔アップロードした「琴座」掲載の私の句について少し触れてもらった。このサイトも作成時からは二回ほどサーバーが変わっていて、すでにファイルが行方不明になっているものもある。HTMLにまたリンクをはるよりも、と思ってこちらのブログにjpgで印刷ものをスキャンしてアップすることにした。
 「琴座」は永田耕衣主宰の俳句結社雑誌で、1990年に入会したのは確かだが退会はいつだったかおぼえていない。終刊まで同人だったような気もするが、誌面に作品を寄せていたのは93年ごろまでだったように思う。
 この記事にアップしたのは平成4年の5・6月の合併号に書いた五十嵐進さんの句集『指』の句集評。句集は大岡さんの端渓社から一字題の句集のシリーズとして出た一冊である。

2014年5月25日日曜日

【俳句】青木重治トリビュート



 上記の画像はツイッターで石原ユキオさんにお見せしようとあげたもの。
 俳句空間で新人賞を頂いて、載せてもらった20句である。今から考えるとこのころとても好きだったし、もっと世の中で広く読まれるようになると思っていた青木重治の長律作品のトリビュートというかオマージュというかになってる20句である。
 ただ私自身がまだ俳句をやっていたころの青木に手紙を書いたりしたかというとそんなことはない。俳句や短歌はただでさえ労が多くて効の少ないジャンルだから直接的な反応に触れないとどれくらい読まれているかなど自分ではかりようがない。
 どなたかが最近宮入聖について、どこかで別名でひっそりと俳句を作っているのかも知れない、と書いていたらしいが、ひょっとしたら青木もそんな風に俳句とどこかでつながっているのかもとは思う。そうなっていてほしいと思うわけではないけれど。

<これはCDロムです・これは>イケヤ・セキ彗星

という句について少しだけ自注めいたことを書いておきたい。
妹尾健太郎がなぜかこの句に少し興味を示してくれたことがある。山カッコの部分は、ゲームのCDロムなどを音楽CDプレーヤーでかけようとしたときに、注意をうながすアナウンスとして流れるものの一般的な言葉。CD自身が自分で自分のことをアナウンスするわけで、聞くと変な感じがしたがこういうトラックをわざわざ聞いてみることにひそやかな楽しみもあった。結句のイケヤ・セキ彗星は天文ファンには有名な発見譚を持つ彗星である。(私は別に天文ファンじゃないけれど)。ウエブのおかげでこういうものの説明もリンクひとつで出来るようになった。


2013年11月18日月曜日

「里」の「ハイクラブ」投句をアップする

新しくブログを作成した。単純にはてなのブログがスマートフォンなどですごく見にくいから。私の使い方が悪いのもあるのだが。

今年の夏から、俳句誌『里』に開かれた佐藤文香さんの選句欄、「ハイクラブ」に投句している。とりあえずはそちらを掲載するのが目的。
佐藤さんの選句欄は、『里』の編集長の島田牙城さんが、歌誌の「未来」で黒瀬珂瀾や笹公人が選者になったのに刺激を受けて作った欄で、盛り上がればいいな、と思って投句を続けている。とはいえ、「俳句」の気流のようなものはこうした選句欄よりもっと直接的な「もの」や「関係」を主流として変化を体現させているような感じもする。あてがはずれたとも思わないが、作句や投句そのものは楽しいので続けている。

ということで下記に選句されたものを書き写す。


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◇「里」八月号


夜よさてみずうみと入れ替わろうか

坂と前髪葛餅食べて女学生

夏闇にほのじろくある脱脂綿

時計草咲いて古本屋は休み

弁当のなかの蕗煮のみどりかな



◇「里」九月号

睡蓮の立ち咲く家もわが家かな

伊勢丹へ夏のおしゃれをして参る

水星の白さの夏のヨーグルト

噴水におとなとこどもこんぶあめ

本のようなノートが好きできりぎりす



◇「里」十月号

かき氷とはこぼれ落つものである

ゆうぞらやうちわにりんと小向日葵

焼きそばを焼く人の汗ハーモニカ

山は夏豆腐屋ぴいとひるの街



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旧「俳句空間」に投句していたころの句「背中を砂の模様にさるおがせは祈る」とか「わかりやすいものをさがしてるのね昔の恋人の下着みたいな」といった句と比べるとはるかに既成の俳句のステロタイプに寄り添った句になっている。
これは佐藤の選のせいではなくて、私が意識的にそういう句を作っているのである。
私は今でも「ピアノに映れ服一着分の青空/夏石番矢」(句集『人体オペラ』より)とか、「星狩りに出掛ける 岬へ ノッポの父につき/坪内稔典」(句集『朝の岸』より」)といった句がとても好きだ。
一絡げにしてくくるのは、多くの他のものを切り捨てることになるので良いことではないが、こうした過去の俳句の達成点を十分に憧憬しながらなお何か過剰なものを俳句に盛り込み、、しかもそれを自らの「俳句」として提出=現前化させようとする、2013年の現在ではただのカッコつけのようにしか見えない「ポーズ」と主体がいっしょくたになったような句が、今でもとても好きである。
しかしこれはこれで「時代」やそれぞれの俳句の作り手たちの「出自」が意識無意識に重なったときに、出来たものだろう。
ならばいま、自分の中で「俳句」とはとりあずどうやれば「可能」なのか。
ということをむきになるわけではないが、多少は真剣味を帯びて、考えてはいるのである。
もちろんそんなことを考えた上で読んで欲しいなどと言っているわけではない。
詩だろうが俳句だろうが、書かれたもののとんでもない量のもののそのほとんどは消えてゆく。残ったものにしか価値は見出されない。
それはそれで「現実」であり「まっとう」なことだが、たとえ残らなくてもどこかに「俳句」なら「俳句」のことを「考え」、こうではないか、これが「俳句」なのではないか、と微力ながらも重ねた試行錯誤は、この世のどこかに「何か」を残すのではないか、と私はこころのどこかで本当にそう思っているようなのである。
つまり、そういう「ほんとうの俳句」というような「幻想」が私の「出自」なのだ、というようなことをここで書いたわけである。

長くなっちゃった。
とりあえずこのあたりで手を置いて、陽がかかげる前に、二階の洗濯物を入れることにします。