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2013年11月19日火曜日

小池正博さんと川柳

小池正博さんと川柳のことを書く。
小池さんにはじめて会ったのは、「かばん」の関西の歌会のメンバーがはじめて東京からメンバーを迎えて、少しイベントっぽい「拡大歌会」というのを開いたときだった。もう十年以上前のことだと思う。ネットで告知をしたりしてみたし、穂村弘も東京から来て、自由参加、というそれなりに魅力的なイベントだと思ったのだが、一般参加者はそれほど多くもなかったが、歌会としてはかえってやりやすかった。
その一参加者として連絡をくれた小池さんは、そのあと「きさらぎ連句会通信」という小冊子を私に何冊か送ってくれた。今でも大事にとってあるその冊子は、私を驚かせた。
端正な8ページほどの小冊子には、連句というかなり古典性のリゴリズムの方に陥りがちなジャンルの人にはほとんど見られない同時代への他の短詩型のジャンルへの明るい好奇心と、バランスの取れた作品への鑑賞ポジションの位置取りがあふれていて、目を見張った。
実際にその日行われた歌会では、小池さんも短歌を出してくれてその作品は点入れそのものとしては最高点だった。
楽しい会だった。

川柳に関する私の知識は、それなりに偏ってはいる。
私の書いたものをずっと読んでくれている人には繰り返しになってしまうが、元々の私の短詩型の出発点は短詩型文学研究会と名打っていた「獏」というグループだった。入会は高校二年生の時だから、1978年か79年だったのではないかと思う。短歌・俳句・川柳・一行詩という4ジャンルを一冊内で、「高一コース」といった当時まだそれなりに読者がいた学年誌の詩歌投稿欄の投稿者を集めたちょっと変わった冊子だった。
短歌ではまだまだ塚本邦雄の文体の明らかな模倣者が堂々と楽しげにあちこちに歌を発表していた。高柳重信はこの頃はまだ存命だったし、地味な着物の柄のような表紙絵の「俳句研究」もまだ自宅の奈良の近所の新刊本屋には置かれていた。
このころの川柳の現状を、「獏」が詳しく紹介していた、というわけではない。
ただ、短歌や俳句と並列したひとつの文芸のジャンルとして「川柳」というものがある、という感覚は最初から植え付けられた気がした。時実新子、中村富二、定金冬二、といった川柳作家たちの作品や存在を知ったのもこのころだったと思う。また大西泰世さんとはまだ最初の川柳句集『椿事』を出す前に、姫路で会うこともあり、小さな同人誌では一緒になって短い期間を過ごした。「獏」誌上ではないが、その頃何かの縁でいただいた雑誌にあった一行詩の作家だった来空の筆による中村富二論は、強い印象を当時の私に残した。
のちに荻原裕幸が川柳のことを書くときには井上劍花坊の名前を出して来たりするのだが、当時はそんな名前は私はまったく知らなかった。
同時代に短歌や現代詩と同じように、「日常」に重心をかけたり、「難解な文学性」に足をかけたりしながら川柳を書いている人がいる、という感覚、それが当時の私の「川柳」の印象だった。
大西泰世は早くから俳句の書き手には注目されている川柳作家だったが、彼女の存在は関西ローカルではそれなりのきらめきを持っていて、私が一番印象深いのは詩歌の雑誌ではなく、今はなき『プレイガイドジャーナル』という関西のタウン誌での彼女のロングインタビュー記事であり、「ひなげしを買って百日愛される」「棚に手が届いて淋しさにも慣れる」といった初期の彼女の句をおぼえたのものその記事によるものであった。まだ句集が出る前のことであり、なるほど、川柳でもよい作品を書けば一般の人が見てくれるものなのだ、という感覚をそれなりに持つことになった。

2008年、小池さんは『川柳と連句 蕩尽の文芸』(まろうど社)という評論集を出版している。
頂いた時には何も書かずにいて今でも申し訳ないと思っているのだが、細部にいたるまで率直な自他への批評性と、外部の人間にはイメージしにくい近代現代の「川柳史」からその延長線上にある「ジャンルとしての川柳の未来」と、小池さん自身の穏やかだがとても強力な文学意識に満ちた一冊の「本」である。
いくつか強く心を打つ個所を引用してみる。



「過去を詮索するのが目的なのではない。過去にあった議論を継承しないと、同じ議論の繰り返しに終わってしまう危険性があるからだ。いつまでたっても序論から一歩も先に進むことができないのでは悔しいではないか。」(「柳俳交流史序説」)


「川柳というものに関わって評論めいたものを書こうとする限りは、川柳というジャンルの可能性を切り開くものでなければならないと私は思っている。川柳の未来に否定的であるなら、私ははじめから評論など書かないだろう。」
「俳句は文学ではない、という言い方がある。俳句は「詩」ではなく「俳」なのだと。川柳は詩ではない、という川柳非詩論もある。両者は、詩と非詩の二律背反をかかえこむ形式である連句の血脈を受け継いでいるのだ。「走尾」4号の「テーマへの呼びかけ」で「現代連句がすなわち現代の俳諧ではないと、誰もが感じてはいるだろう」という一節には、ドキリとさせられた。現代連句は現代の俳諧ではない。これは辛い認識である。」
「短詩型のことを考えるときの出発点として、いつも念頭にあるのは廣松保の次の言葉である。「非詩的な要素をもっていることによって、言いかえれば詩としては未分化であることによって、その俳諧は文学的なある高みに到達しているのかも知れない」「非詩的な、あるいは反詩的な要素をもっているがゆえにそれは詩作品としてすぐれているという逆説的な関係がそこにはあるのではないか」(「自律的ジャンル史観について」)」(「柳俳交流余談」)


「消える文芸・蕩尽される文芸・無名性の文芸に心をひかれながら、それを形に残しておきたい気持ちが同時にあるのも事実である。本書はそういう二律背反する思いの中で、こういう形にまとまった。もとより、書物として完全なものではないが、未完成・未了性はのぞむところである。先へ進む精神を私は連句から学んだのではなかったか。」(「あとがき」)


小池さん自身は、おっとりした風貌の中に関西人特有のどこか憎めない人懐っこさを感じさせるひとである。多くの文芸や表現のジャンルにかなり精通してるのだろうが、知識をひけらかすといったたぐいのところが全くなく、そういうところはとても関心させられる。実生活のことはほとんど何も知らないに等しいのだが、「生活」と「家族」というしっかりした基板に支えられていなければ、実はそれだけで生活の糧を得にくい短詩型の活動などそうそう続けられるものではない。また各地の連句大会は行政と絡んだ一種の「行事」として展開されることも多く、そうしたものとの関わりの煩雑さを厭わないタフなメンタリティがないとこれもまたそうそうやっていけるものではない。
そういう意味では「小池正博」というのはとても稀有な存在なのである。
2013年現在、ネットでは如月和泉名義で週刊更新で「川柳時評」を書き続けている。
リンク先→「川柳時評」
その文章とともに小池さんの二冊の句集や、『川柳と連句 蕩尽の文芸』も、未読の方は手に取っていただくと嬉しく思う。