2016年11月24日木曜日

スティーブ・ジョブズ対千昌夫  岡村知昭句集『然るべく』について

千昌夫いない枯野の快晴よ   岡村知昭句集『然るべく』より

郷ひろみとは名付けずに雪達磨


 いつ知り合いになったのかわからないが気が付くと各種の短歌俳句の集まりで気軽に話をするようになっていた、岡村知昭さんが句集を出した。これ以前に『俳コレ』に100句をまとめたものが入っていて、解説の座談会での岡村さんの句への発言がとてもおもしろかった。関悦史が「暗い非実在の怪しい世界」を作っている、と言い、上田信治が「そこまで深刻じゃないような気もしますが」と返したりする。最後に岸本尚毅が「季題が生きている句」ということで<肩こりのこどもばかりや冷房車><みどりごの固さの氷菓舐めにけり>といった句を引く、というものである。特に岸本の句の選び方には随分驚かされた。そう言われればほんとにそうだからである。
 この句集全体の印象を私なりに言えば「狂なき頓狂」という言葉が浮かぶ。
 一句目の「千昌夫」がどうして出てくるのか、わからないといえばわからない。とはいえ肌寒い季節の色あせた野原を晴れた日に用もなくに歩いていると、千昌夫の『北国の春』の歌いだしが頭に浮かんだりするけれどそれは頭の中だけのことだ、と言われると、ああそれは私にもそういうことはあるかもね、と納得したりはする。句の、妙な低空飛行性とでもいうものに少しこちらが惑乱されてしまう。
 俳句や短歌というものは、疑似的な小英雄譚めいたところで愛されてゆく部分があって、一句や一首への読者の惑溺や陶酔はそのあたりから来るのだと思う。そこを除くと、残るのは「無為性への愛や愛情」ということになるのかも知れないが、そのあたりはちょっと私にはわからない。私には「無為」は「無為」だからである。
 ということで以下付箋を付けた句をあげてみる。

 花冷の道案内の尼僧かな
 (こういう句は嫌いではない)


 シクラメンだから三階にはいない
 (よくわからない句ではある)


 ヒトラーの忌に頼まれて然るべく
 (これもよくわからない。何を頼まれたんだよ!)


 おおきなねこ欲しがるおさなごへ西日
 (普通は子猫を欲しがらないか、と思うがなんとなく納得もする)

 停電のユニクロだけの五階かな
(有用と無用に関する無意識のこだわりがあるのかな、とは思う)

 私が引用した句だけを読むとなんだかよくわからないような句集に思えてくるかもしれないが、「いささかもてあまし気味の本人」がそこにいる、ということであって、難解、というのとはまた違うだろう。意外なところに読者はいるのかもしれないし、いないのかも知れない。史的に残ったものは、優れたものである、ということにはなるのだろうが、それはすべてではないとは思う。いずれにせよ岡村さんが「俳句」の中でぶつかったり、交流したり、扉をしめる音がうるさい、とか言われたりしながら生き続けていってくれればいいと私は思ったりする。