2014年7月12日土曜日

【資料】世秋恭之助の文体


◇「試行」73号から。単に資料的な意味でのアップなので気にしないでね。

2014年6月25日水曜日

猫が寝ている間に

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洗濯場で猫が寝ている。

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出勤の電車の中で枡野浩一さんの初期の歌集『ますの。』を読み返していた。吊り革、や、通過電車、とか、電車関連の短歌が結構あることに気づく。あ、考えたら中澤系の「3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって」も永井祐の「あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな」もそういう電車関連の歌だよな。身体にまで、「電車」や「駅」やその他が、食い込んでるってことなのかしら。

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まだ寝てる。同居人が「ぼっちゃん」と名づけた茶色の猫。

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「かばん」の柳本さんが、「花束」という言葉が出てくる川柳や短歌をまとめてブログを書いている。私の「花束」の歌も評されている。感謝。

http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-107.html

引かれているのは

●さめればいつも明るき街よ花束を背にくくりつけておくれ、誰か

という歌で、書かれて思ったがこれ以外にもいくつか私は花束の歌を書いている。

●花束を手渡すパントマイムだけおぼえていたく思うゆうぐれ

●車から花束不意にわたされて立ち尽くす夏の写真のように

●花束はシー・パール すべて捧げたる身にオオハクチョウの羽根のみ残り

うーん、男のくせにこれだけあるとなんか自分で気色悪いぞ。あと「薔薇」もいくつかあるし「ピアノ」もいくつかある。同じ言葉を使って悪いってことはないけれど、なんか芸がないって感じもするな。

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「ぼっちゃん」は本格的に寝ちゃった感じ。いまはお腹をこっちに向けて寝てる。

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「新潮」2014年1月号掲載の、森田真生さんの「計算と情緒」という岡潔や数学についての文章がとってもおもしろかった。脳には「数覚」というものがあるらしいが、それでは数を「3」までしか正確に把握出来ないらしい。そんな! 短歌も俳句も書けないじゃん! (そういう問題かよ)

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まだ寝てる。ずっと寝とけよ。な。

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2014年6月15日日曜日

【附録】「琴座」「未定」書影など



 そんなに貴重な雑誌というわけでもないが、「琴座」が一冊だけ残っていたので書影もあげて見ることにした。「琴座」は平成九年一月発行の終刊号。表紙はもちろん永田耕衣筆。入会してからずっと(!)この表紙だった。それはそれで良かったのだった。
 「未定」は52号と高屋窓秋の特集号、それに私の好きな小包郵便をそのまま表紙にデザインした31号をアップしてみた。


【俳句】「未定」掲載のそのほかの旧原稿




 最後に「未定」に載せたものを同じようにアップしておく。



【俳句】「光の行方ー安井浩司論」その3




 90年代初頭と違って今はすぐれた安井論も書かれているのでいまさらとはも思うけれども。
 



【俳句】「光の行方ー安井浩司論」その2





56号と57号の二回分。「未定」は年四回の季刊だった。



【俳句】「光の行方ー安井浩司論」その1





 この機会に92年から93年にかけて書き、「未定」に連載した安井幸司論も同じjpg画像でアップしておくことにする。拙いものだが、この時点で全句集はまだ未刊行。俳論「渇仰の果て」も読んでいなかった。それでも必死で書いていた。これは「未定」55号と56号の二回分。




【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その7



 前号の句評、5年7・8月号と、最後の11・12月号分。
 これ以降は「琴座」には書いていないと思う。
 パソコン通信や、ニフティ・サーブの「ftanka」をきっかけに、ゆっくりと私は短歌へ回帰していった。


【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その6




 同じく5年の9・10月号は永田耕衣に関する論考の特集だったと思う。4ページをかなり苦労して書いた。



【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その5




 平成5年5・6月号は当時の「琴座」編集長の金子晉さんの特集でこれも3ページ。金子さんの評論集では加舎白雄について大変勉強させてもらった。


【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その4



 平成5年の1・2月号より。この号は当時少し「琴座」に集まっていた若手-といっても30前後だが-の五名による17句の競作特集で中岡毅雄さんとかと一緒に贅沢に2ページ載せてもらった。飯塚さんがおぼえていたのはこの一句目。このころすでにちらほらと出始めていた安井浩司フォロワーっぽい句になっている。
 「鷹としてふいにけむりをさけるかな」の句は、句会で永田耕衣に少し褒めてもらったし、一連は安井浩司にこれも「よかった」といってもらえた。
 次のページの左は、結社誌でよくある前号からの秀句選で、永田耕衣を中心に集まっていた人々の雰囲気や空気が少し出るかとそのまま載せて見た。一年間、6冊分やらせてもらった。

【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その3



 平成4年の11・12月号に書いた、「琴座」同人の徳永希代子さんの句集『桜麻』の評。同人の方はそれなりにこのころ句集を出していた。阿木津英のものを引用したりと結構苦労しながら書いてるのがよくわかる。

【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その2




 こちらは同じ平成4年の7・8月号(ずっと合併号だった)に書いた鳴戸奈菜さんの『天然』の句集評。右上の手書き文字は、俳句文学館でコピーしてもらったときの向こうの職員さんの書き込みである。雑誌は処分してしまったので、たまたま一度だけいったときに、まとめてコピーしたのである。そのときはまだ「セレクション俳人」が出る前だったから、向こうの席で対馬康子の『愛国』を開いていた女の人がいたことを今でもよくおぼえている。

【俳句】「琴座」掲載の旧原稿その1





 ツイッターで飯塚距離さんから、昔アップロードした「琴座」掲載の私の句について少し触れてもらった。このサイトも作成時からは二回ほどサーバーが変わっていて、すでにファイルが行方不明になっているものもある。HTMLにまたリンクをはるよりも、と思ってこちらのブログにjpgで印刷ものをスキャンしてアップすることにした。
 「琴座」は永田耕衣主宰の俳句結社雑誌で、1990年に入会したのは確かだが退会はいつだったかおぼえていない。終刊まで同人だったような気もするが、誌面に作品を寄せていたのは93年ごろまでだったように思う。
 この記事にアップしたのは平成4年の5・6月の合併号に書いた五十嵐進さんの句集『指』の句集評。句集は大岡さんの端渓社から一字題の句集のシリーズとして出た一冊である。

2014年5月25日日曜日

【俳句】青木重治トリビュート



 上記の画像はツイッターで石原ユキオさんにお見せしようとあげたもの。
 俳句空間で新人賞を頂いて、載せてもらった20句である。今から考えるとこのころとても好きだったし、もっと世の中で広く読まれるようになると思っていた青木重治の長律作品のトリビュートというかオマージュというかになってる20句である。
 ただ私自身がまだ俳句をやっていたころの青木に手紙を書いたりしたかというとそんなことはない。俳句や短歌はただでさえ労が多くて効の少ないジャンルだから直接的な反応に触れないとどれくらい読まれているかなど自分ではかりようがない。
 どなたかが最近宮入聖について、どこかで別名でひっそりと俳句を作っているのかも知れない、と書いていたらしいが、ひょっとしたら青木もそんな風に俳句とどこかでつながっているのかもとは思う。そうなっていてほしいと思うわけではないけれど。

<これはCDロムです・これは>イケヤ・セキ彗星

という句について少しだけ自注めいたことを書いておきたい。
妹尾健太郎がなぜかこの句に少し興味を示してくれたことがある。山カッコの部分は、ゲームのCDロムなどを音楽CDプレーヤーでかけようとしたときに、注意をうながすアナウンスとして流れるものの一般的な言葉。CD自身が自分で自分のことをアナウンスするわけで、聞くと変な感じがしたがこういうトラックをわざわざ聞いてみることにひそやかな楽しみもあった。結句のイケヤ・セキ彗星は天文ファンには有名な発見譚を持つ彗星である。(私は別に天文ファンじゃないけれど)。ウエブのおかげでこういうものの説明もリンクひとつで出来るようになった。


2014年5月23日金曜日

【短歌】歌かとも見ゆるテキストファイル




書くことがついに昨日の三日月に届く クジラがはねる海原

あの夏の拾い損ねたおはじきがためてるはずの葉擦れのひかり

神はいて雨垂れとなり軒下の何の変哲もない石畳をえぐる

こころとは見えぬ虚空の水仙の夏の没日に逃げ惑う蝶

桜には桜の王がいるという嘘を子どもについちゃいけない

音韻にまみれしころの身体は山桃だった盲目だった

ジュスティーヌ 神のおはじき遊びにはかなしき水面の笑みを浮かべぬ

ジュリエット 夢のコルセットのために費やしたりし金貨の数は

樹はつねに水をその身にはしらせてなつの死霊をみまもるという

紀の川は身をまふたつに裂かれたる罪人のごとき支流を持つや

歌は石でも雲でもなくて校庭のすみれの空を刺すのぼり棒

あなたいま声明を口にしていたわ ルリボシカミキリだけで見ていたわ

からだからしみでる雨のかなしさをあなたに告げた葉桜の下

欲望の『よだかの星』をきんいろのゆうべのあかりに読み聞かせたい

花水木 お前にこころがあるのなら食われた鰈の稚魚のために泣け

2014/4/18



(この5月に大阪阿倍野の未来の批評会に参加。外部参加者も歌を出して評を受ける会とは知らかったけれどこの一連のうち最後から二首目の「欲望の」の歌を提出。やっぱり歌意が不明瞭なのであまり評ははずまなかったですね。批評会はおもしろかったです。)