2020年7月16日木曜日

PDF句稿「十王抄」

【PDF句稿のお知らせ】
愛妻のサキと京都の六道珍皇寺の「夏季ゑんま詣特別寺宝展」というのに行ってきました。十王図とかあったので昔書いた十王の句を探したらあったので、PDFにしてみました。グーグルドライブからで、リンクはこれね。
「十王抄」

六道珍皇寺は、京都市バスのバス停「清水道」から歩いて五分ほどの小さなお寺。こうした閻魔詣をやってないときは、ただの狭いお寺です。伝承としては小野篁が冥界と出入りしたと言われる井戸があったりとかですが、これも井戸そのものは普段は戸の隙間から覗けるだけで、私も近くからははじめて見ました。こういう行事の時だけ、本堂や庭に入れるみたいです。

句稿の四角形に組んだ四句は、一行目からぐるっと回転するように読んでいただければ読めるように組んであります。

本年の夏はとにかく祇園祭が例年のようには行われないし、病禍のための旅人の激減で、なんだかひっそりとしています。過去のほんとうのことというのは、詳しくは何もわからにわけですが、民家も道も今のようではなかったころの、見通しが良くて、人の生死がひどく不明瞭だったころの「京」のことを少し考えた一日でありました。ではまた。

2018年1月27日土曜日

『永遠集』山田露結句集 を読みました

 俳句にはいつも「秀句」とは何かという問題がつきまとう。
 ここで「つきまとう」という修辞を選ぶのは適切だろうか。「という問題が含まれている」とか、「(作句するものには)指の先端にまで無意識にそれが伝搬する」とかの方がいいだろうか。
 作句するときは秀句云々など意識せず、おもむくままに句をなしているのであなたの言うことは間違ってるよ、という人もいるだろう。それはそれでいいのではないか。
 ただ、私としては、やはりこれは「つきまとう」でいいのではないかと思う。
 私がこのものいいをするのは、俳句というのは「秀句」という名のまぼろしのストーカーとともに歩み続ける文芸の一形態だと私が感じているからである。
 俳人の山田露結さんから句集『永遠集』を寄贈していただいた。
 かたじけなくまたありがたいことである。
 山田さんには『ホームスウィートホーム』という句集らしからぬ名前の第一句集があり、開板された当時読了し、大変感銘を受けた記憶がある。もうなくなってしまった京都イオンの2階の居心地のよい喫茶店で初読した。とさほど書くこともないことを記述するのは高山れおなのある座談会での「一階か二階かは川名大にはとても大事なこと」といった発言をよく私が思い出すからである。
 うーん。今日の私の文章はなんかくどいな。まあいいか。
 『永遠集』はてのひらでかくれるほどのサイズの豆本である。
 装幀造本は、こうした瀟洒でうつくしい手作りの本を作っている、佐藤りえの手による。-「なるべく小さな句集」を作ってみたい-と山田さんは思ったらしい。そこには山田さんのいろんな思いがあるような気がする。
 句を見ていく。


 花菜漬やさしい人がやさしすぎる

 眼をあけて見る夢かなし初桜


 どちらもナイーブな感性が少しゆるめの記述の感覚とともに句に定着されていると思う。ゆるめの感覚というのは、作者本人が句に「新」や「変」を求めながらも、やさしさやかなしさという定型的な感性のありようもちようを俳句の大事な部分だと思っているからではないかと考える。


 スペシウム光線で勝つはるうれひ


 ウルトラマンはたいていスペシウム光線で怪獣に勝つ。最初から出せばいいのに、とよく私も思う。
 というようなことだけではなくて、平成のこのあたりの時代の、「スペシウム光線」という言葉やそれが指し示すある「雰囲気」を本人は大事にしたかったのではないかと思う。句からアクロバティックな感じがあんまりしないのはそういうことではないかと思ったりする。


 木犀や悲しい歌がまだ悲しい

 すぐに来てしまふ未来や鰯雲


 短歌や俳句のような短い詩型では、繰り返して一語が出てくるというのは永遠にそれが繰り返されるということだ、というようなことを穂村弘がどこかで書いていた。やさしい人のやさしさも悲しい歌の悲しさも、実はどうしようもないことだったりする。それは木犀が木犀であったり、花菜漬が花菜漬であったりするのと同じことなのではないか、という意識や無意識がこの句をささえているように思う。そういう感性には、歩行と同じように、時が流れていくように思えるのかもしれない。
 三歩の道を三歩で歩く、というようなことを、いつかどこかで佐藤佐太郎がいってた記憶がある。
 それでもすぐに、未来が来たように感じることも、そりゃああるかもね。
 とはいえ、小さなこの句集を読んで思われるのはやはりこの拙文の冒頭に書いた「秀句」との、山田さんの「葛藤」であるような気もする。
 2018年の今、「まだ上げ初めし前髪の」と書いたところで、仮にそれが史上はじめて書かれたフレーズであったとしても耳目を集めるとはとうてい思えない。
 仏教の経文に「常与師倶生」、人はいつも世に生まれるとき常にその師とともに生まれてくる、というスターウォーズみたいな一語があるけれども、秀句秀作ベストセラー大ヒットといっても時にあわなければそういうことにはなりえないが、そう簡単に作品も人間も生まれる時を選択できるものではない。短詩型というのは関係性の詩型でもある上に、時代時代の積層した言語のディスクール上で常に評価や判断がくだるのはいたしかたない。
 忘れられた作者は、負けた作者ということになってしまう。
 スペシウム光線でやられた怪獣たちのように。
 しかし私も長く短歌を書いてきて思うのだけれども、短歌とともに生きる、俳句、川柳でも詩でもいいのだが、その「ともに生きる」ということの内実というものはまた、余人にたやすくわかりがたい宝珠のようなものもであるのではないだろうか。
 結局、どこかになにもかもをひっくるめ、飲み込んでもなおくじけない「超肯定」のようなイメージがあって、そこから逆照射されるようにすべての詩歌は作られ読まれてるのではないか、とふと思ったりする。
 おおげさな話になってしまい申し訳ない気もするが、時代がなにやら「超脱力」をめざして進行しているようないま、より大きな肯定感を求めて、筆を進めるとしたら、それは誰かの顔にふっと笑いを浮かべるものであるかもなあ、と思ったりもする。
 最後にもう一句ひいておく。


 大阪を異国と思ふクリスマス


 「京都」でも「和歌山」でもなく、大阪を異国と思う感覚というのは私も共感するのだけれど、それでいいのかな、と思ってしまうのも事実ですね。いい句だと思いますけどね。ではでは。
 
 

2017年3月15日水曜日

【俳句】句集「雲中飛行」正岡豊





◇  1  ◇


きりぎりす姉はななめに部屋に寝る

大人はみな人さらいヘルダーリンの街

父を今十字架がやってきてしばる

象一頭お前から出て星空へ

初雪をケンタウロスとなりて受く

フロイトのひげや窓には窓の雪

匂うかも知れず酢卵飲まされて

強姦の森に今日より二重丸

地図記号夏までの恋かも知れず

泳ぐものはみな戦士かな積乱雲

しみじみと蛇口ながめる夏博士

星の炭で出来たカヌーを漕いでこい

晩夏かな首に葡萄の匂いして 
                    
ながあめにわが背骨までみずいろに     

はるかなり夏もそろばん教室も



 ◇  2  ◇


恋人の瞳はあさがおのたましいよ

鷲のいるかなしい街で泳ぐのよ

帝王学まずかぶとむし踏み潰し

銀山へむかし旅せる菫かな

みずすまし土曜の星をぼくはみる

梅林を稲妻とよりそい通り抜ける

桃色の雲になるまでがまんせよ

三日月市立図書館蔵の光の絵

山界にふとふるさとのさるが死ぬ

このひとを殺して長ズボンをはく

棺運ぶも秋の男の力かな

戦争へ蕗もつれづれなるままに

こおろぎをばらばらにして春を待つ

宇宙船杉の匂いは杉のもの

中国や海水という橋ひとつ



 ◇  3  ◇


中国よいずれ綿菓子になるとすれ

星の死を三つかぞえて長夜かな

熱気球見えなくなりて五月来る

きりすとが幌馬車にいまみえていた

八月の姉を踏み絵のごとく踏む

くさのはなのひきにげはんにんをさがせ

爆音も祈りも蝉を黙らせる

料理長死んで能登までいきたがる

ねむい朝の傷ねむい朝の霊

天竺へ髪の毛もいきたがる後夜

橋よりも水わたりたき夜空かな

夏河をわたれば濡れるふぐりかな

水着・水着・傘・傘・遠いきのこ雲

鯨座の遠い記憶に泣きなさい

彦星の妻にましろき恥垢かな



 ◇  4  ◇


波がまた女人を一人つくりおえ

巨人国からこの国へ責め具ひとつ

ひるがおは人生のない岬かな

はねられのけぞる姿うつくし春の犬

奥海や馬頭星雲動きつつ

時計なり河原の蛙競べかな

八月をふと涙ぐむ煙草かな

追い風に桜はようやくねむるのね

翼とはステンレスで出来た母のことだ

長者を追い越してゆく駆け足のほたるぶくろ

旅人に死は三本のすみれかな

十月の雨のうしろへ帰る人

蝉増えて三人高校生が死ぬ

山の色この透明な蝉の羽根

秋よ手の中牛乳瓶の蓋一枚



  ◇  5  ◇


魚の神をかろんずる水道局員

七月へ塩が手をふる屋上だ

汗・・・多くの兎・・・めざめてわれとなる

ねりわさび・ゴダール・遠くなる渚

大雨は旅人をかけぬけてくる

宍道湖やまぼろしの牛溺れけん

宍道湖や五時八教をそらんじて

出雲路やバレンシア・オレンジをかじる

旅にあればまたいたどりにささえらるる

強力者の背にかくされし朝顔よ

海亀にしたしむ物を母と呼ぶ

建物をかじれば甘し夏の暮

海・くちびる・誰かの下着・ほら、もう秋

傍らに壺ありにけり冬棺

壺にして階段であるものを背に



 ◇  6  ◇



乾坤や桜にかすむ宇宙船

ひるがおをすこしくだけば鳥ならん

波打ち際は死体転がっても戻り

わが父に草魚は何をたのみおる

春の生き物みな一部分草魚かな

老父死して耳より出ずるせきせいいんこ

くちづけや背骨の伸びる病あり

くちづけの途中で止まる遮断機よ

けだものの声にあおざめたるさくら

桜にもみえねど河に炎あり

水星学を学べる兄に桜かな

割腹よりわれは桜に近かりし

そとからのちから観音様通る

畳にもほら穴あれば子は落ちぬ

ちいさい子おおきな魚影にもみえて



 ◇  7  ◇


いとしさやこの世の果てに缶みかん

いとしさや背面飛びのドイツ人

いとしさへ伝言板をおくろうや

いとしさは滝をとめどもなく落ちる

いとしさよ名残とはすなわち金貨

あいしてる皿の上にも天気雨

あいしてるたくさんの倒れる椅子を

あいしてるったって楓はまだ緑

あいしてるどれも母音の胸乳よ

わめきつつ春は鯨を追いかけよ

いもうとの脇の下まで春ならん

内側に薬局あらん春の肺

しろつつじ妊婦なかなか消えぬ道

春光がさす杉林から逃げる

心中や天にかかるはレンズ雲

 





◇  8  ◇



被害の写真
森をつかんでやせほそる





金曜日,寝室に針
土曜日,鉢植に僕





橋がうたう
またゆき場なき鳥の色





天にかくれる針ねずみ
金・銀・砂子・飛行石





ふたたびくぐるかすみ網
みたび,木枯かかるかな



 ◇  9  ◇



街灯すら
青山河まで
ゆくものを





長髪の かまきり
短躯の かまきり
蝶食う かまきり





虹に樹は
まるまり
とがり
やせほそる





陰茎に
刺青されたる

虹の橋





腑分けされても
腑分けされても
剣へめがけて
のけぞる手





八瀬までも
     水没したる
あかときよ





酒色の
甲虫
はつなつという
罪をくぐる





呪文にいたる道
柿の樹と
柿の樹と
巨大な月



  ◇  9  ◇


セラミック・カービン銃の所持者・凶

NSNと磁石くっつく春の暮

春昼や海にめり込む船の原

いとしさの絹は港を旅立つや

天がめくられる封筒でおさえよう

戦闘的な草食獣にひるがおはほほえみかける

あの山は男の膝をいつも折る

春のキリンは即ちアリストテレスかな

日輪を睡眠薬のラベルでかくせ

木いちごの木と姉食らいあう真昼

いちご売りもとはとかげか額照る

巨石落ちいちごも医者もつぶされる

おおぞらのいちごの向こう花明かり

野いちごにかかわるフランス映画かな

梨にきて小さな鳥も大きく見ゆ







 ◇  10  ◇


なにいろの梨銀漢でかじらんや

ふと異なる空間同時に占める梨

いもうとは梨をわらいて高熱に

梨剥けばあらわれる大寺院かな

梨は手に海と化したり青たんす

麦の秋幼女たずねる旅人算

眼帯をするものにだけ咲く桜

うつくしき地図のかたわら春の水

さざんかでかくす異境の捕鯨船

飛ぶ象を気にする白い男かな

白蛇や法華経ペトロフスキイ本

あかときの胸毛のごとき冬の駅

実刑判決だ 駅にささっている死体

きたぐにやふいにせつなしひるはなび

海難の娼婦の鞄黒かりし



 ◇  11  ◇


押し花に似て城に似て壺一つ

あめのうお月を欲しがる国ひとつ

病む姉の瞳の水底のほととぎす

ゆうぐれを遠くで笑う貝柱

まぼろしをついにかなしむひばりかな

海の瞳にちいさくかかるからすうり

海の瞳をくるしめるためえぐるひと

水面に父とふたりでにじむかな

ひるがをや布団に父の足がつる

浮浪児よ山からみえぬ線路道

百合にとりすみれは海か中山道

旅人よ鳥の下なる氷かな

風葬にすみれ重々しくかえる

旅人よ絹を食う虫食わぬ蟹

かぶとがによりもやさしく交尾せよ

 


 

書誌:原本は1991年5月ワープロにて五部のみ制作。

2016年11月24日木曜日

スティーブ・ジョブズ対千昌夫  岡村知昭句集『然るべく』について

千昌夫いない枯野の快晴よ   岡村知昭句集『然るべく』より

郷ひろみとは名付けずに雪達磨


 いつ知り合いになったのかわからないが気が付くと各種の短歌俳句の集まりで気軽に話をするようになっていた、岡村知昭さんが句集を出した。これ以前に『俳コレ』に100句をまとめたものが入っていて、解説の座談会での岡村さんの句への発言がとてもおもしろかった。関悦史が「暗い非実在の怪しい世界」を作っている、と言い、上田信治が「そこまで深刻じゃないような気もしますが」と返したりする。最後に岸本尚毅が「季題が生きている句」ということで<肩こりのこどもばかりや冷房車><みどりごの固さの氷菓舐めにけり>といった句を引く、というものである。特に岸本の句の選び方には随分驚かされた。そう言われればほんとにそうだからである。
 この句集全体の印象を私なりに言えば「狂なき頓狂」という言葉が浮かぶ。
 一句目の「千昌夫」がどうして出てくるのか、わからないといえばわからない。とはいえ肌寒い季節の色あせた野原を晴れた日に用もなくに歩いていると、千昌夫の『北国の春』の歌いだしが頭に浮かんだりするけれどそれは頭の中だけのことだ、と言われると、ああそれは私にもそういうことはあるかもね、と納得したりはする。句の、妙な低空飛行性とでもいうものに少しこちらが惑乱されてしまう。
 俳句や短歌というものは、疑似的な小英雄譚めいたところで愛されてゆく部分があって、一句や一首への読者の惑溺や陶酔はそのあたりから来るのだと思う。そこを除くと、残るのは「無為性への愛や愛情」ということになるのかも知れないが、そのあたりはちょっと私にはわからない。私には「無為」は「無為」だからである。
 ということで以下付箋を付けた句をあげてみる。

 花冷の道案内の尼僧かな
 (こういう句は嫌いではない)


 シクラメンだから三階にはいない
 (よくわからない句ではある)


 ヒトラーの忌に頼まれて然るべく
 (これもよくわからない。何を頼まれたんだよ!)


 おおきなねこ欲しがるおさなごへ西日
 (普通は子猫を欲しがらないか、と思うがなんとなく納得もする)

 停電のユニクロだけの五階かな
(有用と無用に関する無意識のこだわりがあるのかな、とは思う)

 私が引用した句だけを読むとなんだかよくわからないような句集に思えてくるかもしれないが、「いささかもてあまし気味の本人」がそこにいる、ということであって、難解、というのとはまた違うだろう。意外なところに読者はいるのかもしれないし、いないのかも知れない。史的に残ったものは、優れたものである、ということにはなるのだろうが、それはすべてではないとは思う。いずれにせよ岡村さんが「俳句」の中でぶつかったり、交流したり、扉をしめる音がうるさい、とか言われたりしながら生き続けていってくれればいいと私は思ったりする。

2015年8月17日月曜日

オルガンと手風琴-「オルガン」2号の感想


 

 俳句同人誌「オルガン」2号をおもしろいなと思って読み、少し感想が書きたくなった。
 なので自分のブログに少し書いてみることにする。
 「オルガン」は生駒大祐・田島健一・鴇田智哉・宮本佳世乃の四人の同人誌で、この号はほかに福田若之がゲストとして座談会に参加している。
 通読しておもしろく思ったのは、同人どうしのあまり子供っぽくはない緊張感が、座談会や相互の作品からうかがえるようなところがまずひとつある。また意識してか無意識なのかは私にはわからないが、「品の良さ」と「俳句に対する敬意」が水槽の中の水のように、冊子の誌面に一様にあると感じられるところも面白かった。
 四人の同人には、「俳句に対する敬意」というもの言いに違和感や反感を感じる人もいるのかもしれない。
 それはそれでしょうがないのだが、少し付け加えると、今さっきのの文面での「俳句」というのは、大きな意味での詩のジャンルとしての俳句というよりは、「文化としての俳句」という感触がある。
 1962年生まれの私は、坪内稔典編集の「現代俳句」の中盤あたりをリアルタイムで読んだ下限あたりの世代と思っているが、坪内の「現代俳句」には「俳句に対する敬意」を抑えつけるような形で「時代に対する敬意」というものがあったように思う。その「時代に対する敬意」というのは順接的なものでもあり、逆説的なものでもあったとも思う。他の場所でも度々引用したもので申し訳ないが、坪内が「現代俳句第六集」の帯に書いた

「定型に日が射し秋の風が吹く
 火傷しそうな君に会いたい」

という文言にそれはこめられていたようにも思う。反逆的なモラルや孤立と連帯をめぐるロマンチズムの中で「俳句」というものを考えずにはいられなかったこころが、書かせたものだろうとは思う。それはそれで「当時」という「時代」への敬意だったのではないか、とは時を経て今思うことなのですけれどもね。
 「オルガン」はもちろん2015年発行の俳句誌なので、2010年代的な微妙な「生」そのものへの不安やその中での個人の求心的な達成の感覚を中心に作句や発言がなされてるように思えます。誌面が俳句作品と二本の座談会でのみ構成されてる、というのも、他に理由があるのかも知れないけれども、(単に誌面のスペース上の問題だとか)余裕を持った禁欲という少し今の時代の「風」のようなものに寄り添っているような感触もある。
 全体のことはこのくらいで、作品の感想などを書いてゆきます。
 引用する句は、それなりに惹かれた句です。

 待たされて苺の夜に立っている/田島健一

 噴水の奥見つめ奥だらけになる/田島健一


 「俳句」そのものをひとつの「典型的な文体」ととらえた上で、その「文体」に違和をとなえるような作風で、それはそれで現在の俳句というのは大なり小なりそのような書き方をしているとは思います。あとはその「典型的な文体」との離れ方、にどのような「個性」を持たせるか、になるわけで、そんなことは少しも書かれていないのに、句に「ファミリー感」とでもいうようなベーシックな家族生活者の風貌が見えてしまう、というのが、
読みどころなのかもしれません。


 ひあたりが果物よりも固い蟻/鴇田智哉

 日録が雲海へほどかれてゆく/鴇田智哉


 俳句の言葉に自在な感覚を持たせたい、と思って書いてるような俳人というのは少なくないのでしょうが、そううまくはいかないですわね。作句された句の言葉と作者の間に鵜飼いと鵜のようなつながりを私は感じますが、そこから先のことは私にはあまり言いようがないですね。


 箱庭の砂のあまつてをりにけり/宮本佳世乃

 ホーミーが虹に届いているところ/宮本佳世乃


 句集『鳥飛ぶ仕組み』はおもしろく読みました。軽さと重さのバランスのいい作者だと思うのですが、そのバランスの良さはそのまま軽さにつながってしまったりするので、多少損をすることになる作風かもしれません。


 六月に生まれて鈴をよく拾ふ/生駒大祐

 鷹を描きその他は青を載せ続く/生駒大祐


 同人四人の中では一番生年が新しいようで、その分私には一番遠い俳句の作り手という感じもします。ただそういう私なら私との年齢差とかは基本どうでもいいことなのではないか、というのもあります。「六月」の句は、少し残っていきそうな句ではないか、と考えたりはします。短歌・俳句・川柳それぞれ一句には「命運」のようなものがあって、のちのちまで語られたりする作品になることには評価とか時代性とはまた何か違う「それ」があるようには思ったりします。

 二本の座談会には、俳句総合誌の座談会に感じられる無意識の読者幻想の拡大化と概念化のようなものがあまりなく、新しすぎない「現在の俳句の詠み手」の俳句に対する感触、のようなものが私には感じられました。再生産的な感触がいつもどうしても漂う俳句の世界において、その再生産的なものの価値をどのように止揚なり位置づけなりするか、ということ。それと、俳句の実際の作り手としての「もっと読まれたい」という「色気」のようなものをどんな風に「変圧」していくか、という結構な難題への模索、でしょうか。
 一本は村上鞆彦の句集『遅日の岸』の書評座談会で、二本目は鴇田智哉の質問状にそれぞれが答える形のものです。その質問のひとつめが、

「Q1 あなたは俳句を書くとき、どのような読者を想定していますか?」

というものです。それぞれの同人の答えと問答は座談会を読んでいただくとして、私も答えてみたいので書きますね。(お前はそれが書きたかったんだろうという人もいて当然ですね。まあ自分のブログなのでそれはそれでいいのでは。)ここ数年ツイッターのアカウントで書いていたような基本4行の句は、前提としては「ツイッターの使用者」ということになりますね。その上で「自分のような詩歌の享受者、読者」もう少し言うと「1979年、80年、81年あたりに吉本隆明や菅谷規矩雄を読んでいたような(なおかつ今生存している)人」を意識してるとは思いますね。私はそういう人はあんまり2015年の今、「(本屋にいっても買って)読む本がない」という思いを持ってるのではないかと感じます。何も吉本や菅谷の本や書くものが素晴らしいとかそういうことではないので、そこだけ付け加えますけどね。
 ただそういうのは書き手の意識としては「続かない」ですね。
 というようなところで。夏が徐々におとろえていくような、八月のなかばの午後でした。

2015年7月25日土曜日

『ぼくの短歌ノート』(穂村弘 著)の感想

 この頃よく桜田淳子のことを考えたりする。
 歌手の桜田淳子のことである。
 デビュー曲が『私の青い鳥』である。

 「ようこそここへ クッククック
  私の青い鳥
  恋をしたこころにとまります」

 という歌詞ではじまる。このころの歌い手というのは、一体誰、あるいは何に向かって歌っていたのだろう。近年の、というくくりはあまりに大雑把過ぎるが、それなりに耳にするヒット曲や話題曲にはとらえどころがないテンションの高さがあり、私にはおぼえにくく、また、どこかさりげない、「現実に寄り添うような肯定感」、というものが感じられる。
 テレビでしか見たことがないから、その記憶にもとづいてこうして書くだけなのだけれど、それが虚構であれ、当時の桜田淳子に「清潔感」があったことは確かである。今この『私の青い鳥』を真面目に誰かが歌えば、ちょっとした違和感と、かなりのバカらしさが聞くものの反応として、現れるのではないかと思う。昔それがそれなりに「普通」であったものが今「バカらしく」感じられるとしたら、その「差分」といったものは、果たして何なのだろうか。

 穂村弘の『ぼくの短歌ノート』を読んだ。帯には「著者のライフワーク」という言葉があるが、長尺連載になることは間違いない。連載のはじまる直前に、同じ掲載誌の「群像」に2ページのエッセイが載っていて、みかんを投げ上げると甘くなる、という話をしたら、みんなぽんぽんとみかんを投げ始めた、という魅力的な歌が引かれてあるいい文章で、あれも収録して欲しかったと思ったりする。一般文芸誌に、短歌関係の文の連載をするというのは結構な(あるいはとんでもない)プレッシャーだと思う。そこは穂村弘なりに、とてもよくこなしているなあ、と飛び飛びではあるが連載を見ながらそう思っていた。
 現在の短歌の世界、というか、「雰囲気」、というかにおいて、穂村弘と加藤治郎が新聞および雑誌において投稿欄の選者である、ということは、それなりに大きな要素になっているように思える。
 現在の「投稿短歌」において顕著だと思えるのは、「師弟論と絡まりあった定型論」、あるいは、「伝統的文化感性に基づく意識無意識を問わない『過去』そのものへの敬意」から、自由、もしくは無縁、であることだと私には思える。言い回しが小難しくなるのを、出来るだけ避けたいとは思うのだが、私にはこの辺りが限界なのでご容赦願いたい。
 クラシック音楽、というのは、勉強する音楽だ、ということを岡田斗司夫がどこかで言っているのを読んだことがある。詳細はともかく、それなりにうなづけるところのある物言いである。クラシカルな「短歌」に関する感性も多少これと似ているところがあって、国文社の現代歌人文庫の『岡井隆歌集』に収録されている村上一郎の文章には、植物辞典と広辞苑を昔の短歌の詠み手は所持していて、そういうことをしない戦後は駄目である、といった内容のことが書かれてある。短歌もかつては全般的に「勉強する」、ものだった、と言って良いだろうか。
 本書はそういった古典的な「短歌観」に基づく専門歌人の短歌作品と、現在ー近年の投稿短歌や新鋭歌人の短歌作品をパラフレーズして引用しながら、穂村自身の現在の「短歌」に関する思考やその現在の達成点がうまく書かれている書物だと思う。專門歌人の短歌作品に、引用元の単行歌集等の記載がないのは、他に事情もあるのかも知れないが、「インデックス」というものが持つ過剰な文化ステータス意識を、穂村が避けたいと思っているからかも知れない。

 ハブられたイケてるやつがワンランク下の僕らと弁当食べる うえたに

 この歌をここ数年、穂村はよく引用していて、私は申し訳ないという感覚もあるけれども(そういうことは全く思わなくてもいいかも知れないと思ってることも書き添えておく)こんな歌どこがおもしろいんだよ、とずっと思っていた。本書では123ページ、「身も蓋もない歌」という標題の章にこの歌は引用されている。この章を読んで、私はやっとこの歌の何を穂村がおもしろがっているのかがわかった気がした。『一首における高純度の「身も蓋もなさ」』と穂村はこの章の最後のあたりに記述している。今わたしはラジオを聞きながらこの拙文をキーボードで打っている。ラジオからは「ゲスの極み乙女」の曲が流れている。「ゲスの極み乙女」。身も蓋もないグループ名である。ただそういうところでしか産まれない「清潔感」はあると思う。「反安倍政権乙女」などという名前では決して成立しない感覚的な「清潔感」が。(それは「清潔感」なのか? という疑問を感じる人もいることはわかる。)穂村は短歌において、最終的には個人個人の「自由さ」に基づいた感覚的な「清潔感」が価値を持ち得ると思っているのではあるまいか。
 『ぼくの短歌ノート』において、読後にそれなりに強い余韻を持ってこころに残るのは、私には大西民子と小池光の引用歌である。

 帰り来てしづくのごとく光りゐしゼムクリップを畳に拾ふ  大西民子

 旧かながさまになりしは福田恆存まで丸谷さへもちやらちやらくさく  小池光

 大西民子が作歌の基盤としているのは、私には「(結婚ー家族生活を経た)女性の(感覚的な)単身としての生活」だと思えるし、小池光のそれは「ありったけの『自得のもの』を武器とした生活者としての市民としての生活意識」だと思える。それがどれくらい「現在」の日本人なら日本人に取り「有効」なのかどうかは、私にはくわしく分析することは出来ない。分析する必要があるのかも、あまりよくわからないけれども。
 また、歌の「分類」として、強い余韻を残すのは、「身も蓋もない歌」と「ハイテンションな歌」の二つではないだろうか。あまりに身も蓋もなく、またあまりにハイテンションであり、そして現在の我々にとって抵抗感のない「清潔感」を持つ歌が現れたなら、それは紛れもない現在の「秀歌」として、認識される、ということなのだろうか。
 最初の桜田淳子の話に戻ると、やはり「クッククック」という「言葉=歌詞」を桜田が当然のように「受け入れる」ことで、あの「歌」は成立する。たぶん、わたしたちは、同じように、後年になれば、違和感を感じないではいられないような「言葉」を当然のように「受け入れる」ことで、現在において「短歌」なり「詩」なりを生成している部分があるとは思う。
 それはしかし、いついつまでも有効なものなのだろうか。
 連載はまだ続いている。
 注目して、穂村の思考の先を見続けたいと思う。

 

2015年5月12日火曜日

安田直彦『ザオリク』について

 安田さんのことはほとんど何も知らない。ツイッターで、私が何か書くと、早いタイミングでお気に入りによく入れてくれること。平井弘や村木道彦をよく読んでいるらしいこと、数年前まで早稲田短歌会にいて、今は自分で人を集めて歌会をやっているらしいこと。あ、独身男性だと思ってるけど、これは確かめたわけじゃない。
 まあ私が彼について知ってることはそれくらいです。
 へそ、さんという名前でツイッターをしていたので、こういう名前だというのは今回はじめて知りました。
 でそのネットプリントの短歌作品「ザオリク」についてこれから書きます。
 ちなみに「ザオリク」というのはゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズで出てくる回復呪文の名前ですね。私はそんなにドラクエやってないです。三本くらいクリアしただけね。
 私は自分がおもしろいと思うものは、あんまり人はおもしろいと思わないのではないか、という意識が強い方です。余計なプライドのせいか、単に短歌なら短歌の「好み」が偏向しているだけか、その両方ですかね。
 この一連もおもしろい、というのは躊躇するところがあります。
 けれど結構何回も読み返してしまったりする。
 それはつまりおもしろいと思ってるのかも知れません。
 ただ多少自分の作品と似てるところもあって、そういうものを「おもしろい」というのは結局自分の書いたものをおもしろいといってるのに近いので、それでためらうところもありますけどね。
 似てる気がするのはこういう歌。


 本編で語られなかった花たちの学名が巻末にいちめんに 安田直彦


 いちめんに「ある」、あるいは「載っている」というのが、省略されてるわけですが、この省略には短歌作品一首から文語の部分を押し出す、という要素があると思います。書かれている内容はある本の巻末に、花の学名がたくさん載っているというだけのことなので、それが語順と、文体と拮抗するように現れる短歌定型が生成するリズムによって、何か別の感覚を生み出しているように思えるのですね。
 ただこういう歌は読者にかける「負担」が大きいのではないですかね。
 ツイッターで「いまどき難しいことをやってる人がいる」と書いたのは、その「負担」の部分が大きいです。
 私には現在の(ここ数年、くらいの意味です)短歌の大部分は、一次的な共感というものをベースにおいて書かれてるように思えます。それが悪いとは全然思わないし、そういう中でも、優劣や完成度の高低というのをそれなりにみな競い合ってるわけですから、何もみんな「簡単」なことをやってるわけではないですよね。
 でも私はつまらないですけどね、そういうのは。
 短歌というのは「共有」の詩型だと思います。
 他のジャンルのことは煩雑になるのでしばらく置きます。
 五七五七七の音数律が、という言い方は短歌の定義としてはその通りなのですが、実際には過去の短歌作品やら、短歌そのものの日本なら日本での文化的なステータスだとかはある程度大なり小なり意識しているし、そういうものから作り手は自分なりに「短歌」を切り取るようにして一首を意識無意識に作っていき、そして人に読ませようとするわけですね。
 次の歌も私は比較的難しい方の歌ではないかと思います。


 聖蹟のちかくで春のあしくびを美の埒外の泉にひたす  安田直彦


 端正で綺麗な歌ですが、「聖蹟」「埒外」という音韻的には核になるような単語が、どうにも目立ってしまいます。
 さきに「共有」という言葉を出しましたが、難しく、また、「いまどきこういうものを書くのかよ」と思わせるのは、作者の安田さんの「定型詩」意識であるように私には思えます。


 あきらめるよりもはやくあきらめのことばがくちから出てしまいそうになりあわてて雪虫に変える  安田直彦


 こういう歌にしても私の自作の歌に多少似ているところがあるのですが、ひとつは「定型」の「偽装」感ですね。定型詩を詠んでいながら、その定型詩にどこかで「脱出」の感覚を持たせたい、というところから、こういう破調の歌が出来てくるのではないですかね。ただそのときに、きっちりとした定型の様相を歌が見せなくなるのは、どこかでこういう歌の詠み手が「奈落」を意識しているからですね、多分。
 「奈落」に落ちたくないわけですよ。
 ここが、私はなかなか歌を作っている人にも、「共有」されにくいところではないかと思います。
 ましてや、「短歌」というものに深く関わっていない一般のひととなるとなおさらですね。
 それでも、「時代」というものが、そういう「奈落」との関係性の中で、「定型詩」というものを強制的に書かせようとする時期というのは、かつてはあったように私は思います。今はそういう「時代」ではないですね。そのことに対するくわしい分析や解析をここで述べてもあまり意味はないように思います。
 ということを考えたあとで、安田さんの歌に対する感想をまとめると、「いい歌だといいにくいいい歌」ですね、ということになると思います。
 いい歌だといいやすいいい歌、というのがそれではあるのか、という反語的な思考がわいてきますわね、こう書くと。
 あるにはあるでしょうが、小さな声で言わせてもらえば、私にはそれは「結局どうでもいい歌」のことだ、ということになります。
 最後の方はかなりひとりよがりの文章になりましたけれど、とりあえずそんなところで。