2015年7月25日土曜日

『ぼくの短歌ノート』(穂村弘 著)の感想

 この頃よく桜田淳子のことを考えたりする。
 歌手の桜田淳子のことである。
 デビュー曲が『私の青い鳥』である。

 「ようこそここへ クッククック
  私の青い鳥
  恋をしたこころにとまります」

 という歌詞ではじまる。このころの歌い手というのは、一体誰、あるいは何に向かって歌っていたのだろう。近年の、というくくりはあまりに大雑把過ぎるが、それなりに耳にするヒット曲や話題曲にはとらえどころがないテンションの高さがあり、私にはおぼえにくく、また、どこかさりげない、「現実に寄り添うような肯定感」、というものが感じられる。
 テレビでしか見たことがないから、その記憶にもとづいてこうして書くだけなのだけれど、それが虚構であれ、当時の桜田淳子に「清潔感」があったことは確かである。今この『私の青い鳥』を真面目に誰かが歌えば、ちょっとした違和感と、かなりのバカらしさが聞くものの反応として、現れるのではないかと思う。昔それがそれなりに「普通」であったものが今「バカらしく」感じられるとしたら、その「差分」といったものは、果たして何なのだろうか。

 穂村弘の『ぼくの短歌ノート』を読んだ。帯には「著者のライフワーク」という言葉があるが、長尺連載になることは間違いない。連載のはじまる直前に、同じ掲載誌の「群像」に2ページのエッセイが載っていて、みかんを投げ上げると甘くなる、という話をしたら、みんなぽんぽんとみかんを投げ始めた、という魅力的な歌が引かれてあるいい文章で、あれも収録して欲しかったと思ったりする。一般文芸誌に、短歌関係の文の連載をするというのは結構な(あるいはとんでもない)プレッシャーだと思う。そこは穂村弘なりに、とてもよくこなしているなあ、と飛び飛びではあるが連載を見ながらそう思っていた。
 現在の短歌の世界、というか、「雰囲気」、というかにおいて、穂村弘と加藤治郎が新聞および雑誌において投稿欄の選者である、ということは、それなりに大きな要素になっているように思える。
 現在の「投稿短歌」において顕著だと思えるのは、「師弟論と絡まりあった定型論」、あるいは、「伝統的文化感性に基づく意識無意識を問わない『過去』そのものへの敬意」から、自由、もしくは無縁、であることだと私には思える。言い回しが小難しくなるのを、出来るだけ避けたいとは思うのだが、私にはこの辺りが限界なのでご容赦願いたい。
 クラシック音楽、というのは、勉強する音楽だ、ということを岡田斗司夫がどこかで言っているのを読んだことがある。詳細はともかく、それなりにうなづけるところのある物言いである。クラシカルな「短歌」に関する感性も多少これと似ているところがあって、国文社の現代歌人文庫の『岡井隆歌集』に収録されている村上一郎の文章には、植物辞典と広辞苑を昔の短歌の詠み手は所持していて、そういうことをしない戦後は駄目である、といった内容のことが書かれてある。短歌もかつては全般的に「勉強する」、ものだった、と言って良いだろうか。
 本書はそういった古典的な「短歌観」に基づく専門歌人の短歌作品と、現在ー近年の投稿短歌や新鋭歌人の短歌作品をパラフレーズして引用しながら、穂村自身の現在の「短歌」に関する思考やその現在の達成点がうまく書かれている書物だと思う。專門歌人の短歌作品に、引用元の単行歌集等の記載がないのは、他に事情もあるのかも知れないが、「インデックス」というものが持つ過剰な文化ステータス意識を、穂村が避けたいと思っているからかも知れない。

 ハブられたイケてるやつがワンランク下の僕らと弁当食べる うえたに

 この歌をここ数年、穂村はよく引用していて、私は申し訳ないという感覚もあるけれども(そういうことは全く思わなくてもいいかも知れないと思ってることも書き添えておく)こんな歌どこがおもしろいんだよ、とずっと思っていた。本書では123ページ、「身も蓋もない歌」という標題の章にこの歌は引用されている。この章を読んで、私はやっとこの歌の何を穂村がおもしろがっているのかがわかった気がした。『一首における高純度の「身も蓋もなさ」』と穂村はこの章の最後のあたりに記述している。今わたしはラジオを聞きながらこの拙文をキーボードで打っている。ラジオからは「ゲスの極み乙女」の曲が流れている。「ゲスの極み乙女」。身も蓋もないグループ名である。ただそういうところでしか産まれない「清潔感」はあると思う。「反安倍政権乙女」などという名前では決して成立しない感覚的な「清潔感」が。(それは「清潔感」なのか? という疑問を感じる人もいることはわかる。)穂村は短歌において、最終的には個人個人の「自由さ」に基づいた感覚的な「清潔感」が価値を持ち得ると思っているのではあるまいか。
 『ぼくの短歌ノート』において、読後にそれなりに強い余韻を持ってこころに残るのは、私には大西民子と小池光の引用歌である。

 帰り来てしづくのごとく光りゐしゼムクリップを畳に拾ふ  大西民子

 旧かながさまになりしは福田恆存まで丸谷さへもちやらちやらくさく  小池光

 大西民子が作歌の基盤としているのは、私には「(結婚ー家族生活を経た)女性の(感覚的な)単身としての生活」だと思えるし、小池光のそれは「ありったけの『自得のもの』を武器とした生活者としての市民としての生活意識」だと思える。それがどれくらい「現在」の日本人なら日本人に取り「有効」なのかどうかは、私にはくわしく分析することは出来ない。分析する必要があるのかも、あまりよくわからないけれども。
 また、歌の「分類」として、強い余韻を残すのは、「身も蓋もない歌」と「ハイテンションな歌」の二つではないだろうか。あまりに身も蓋もなく、またあまりにハイテンションであり、そして現在の我々にとって抵抗感のない「清潔感」を持つ歌が現れたなら、それは紛れもない現在の「秀歌」として、認識される、ということなのだろうか。
 最初の桜田淳子の話に戻ると、やはり「クッククック」という「言葉=歌詞」を桜田が当然のように「受け入れる」ことで、あの「歌」は成立する。たぶん、わたしたちは、同じように、後年になれば、違和感を感じないではいられないような「言葉」を当然のように「受け入れる」ことで、現在において「短歌」なり「詩」なりを生成している部分があるとは思う。
 それはしかし、いついつまでも有効なものなのだろうか。
 連載はまだ続いている。
 注目して、穂村の思考の先を見続けたいと思う。

 

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